僕らの999

ゆるっとまるっと

あの日見上げた夜空には

月曜に放送されたMステ。そこで嵐が歌ったのは「果てない空」。この曲が流れた時、私は一年前のあの時とリンクした。

 

思い返せばちょうど去年の2015年9月。宮城ひとめぼれスタジアムにて19日から23日の4日間にて開催された『ARASHI BLAST in Miyagi』から一年が経っていた。楽しくて、素敵で、でも複雑な気持ちも入り交じっている、そんなコンサートだった。あんなに沢山感じた事があったにも関わらず、感想やレポは当時はほんのちょっとしか呟いてなかったのだ。

あれから一年。記憶というものは自分の都合の良いように書き換えられるから、正直、今残っている記憶が確かなものなのかは分からない。でも、ちゃんと覚えてる。あの時見た風景も、聞こえた音も。忘れるわけが無い。今更ではあるが、そんな当時の事、気持ちをここに残しておきたい。以下、備忘録・雑感。

 

 

2011年東日本大震災発生。私のところは比較的大きな被害も無く、食料不足や電気のない生活が続いたりと不便な生活を余儀なくされた。当時学生の私が見た炎の海、流される家、あの景色は今でも焼き付いている。当たり前だったことが当たり前じゃなくなる恐怖。明かりのない真っ暗な中にひとりいる孤独感。ラジオから聞こえてくる言葉も出ないほどの絶望。一生忘れない出来事となった。

 

震災から4年が経った2015年。朝、テレビで見かけた『嵐 宮城コンサート』の文字。私はもしかしたら夢を見てるんじゃないかと疑ったが、どうやら夢じゃないらしい。復興支援として会いに来てくれる、東北の為にコンサートをしてくれる。そんな嵐の思いに私は涙が止まらなかった。

申し込み受付が始まり、ダメ元で応募したところ見事当選。それから交通機関の確保、電車の時間確認、シャトルバスチケット購入などの準備で足早に1日が過ぎていった。

 

 

9月18日。一足先に前乗り。この日は始発の新幹線で宮城に向かい、朝8時頃に仙台駅へ到着。仙台駅では既に嵐がお出迎えしてくれていました。 

もうすぐ始まるんだ。会えるんだ。この大きなフラッグだけでもワクワクが止まらなかった。ひとつひとつ目の前でも撮ったよ!(ヲタクあるある行動)

 

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これ欲しかった……(飾る場所が無い)

 

荷物を預け、電車で利府駅へ。そこからシャトルバスでプレ販売をしている宮城セキスイハイムスーパーアリーナに向かった。会場に着くと結構人が多くてびっくり。地元の人なのか、はたまた前乗りしてる人が多いのか分からないけど結構並んだ方だと思う。セキスイハイムはいつもお世話になっている会場だったので、そこがグッズ売り場とは本当に違和感しかなかった。この時JUMPの宮城コンサートからまだ2ヶ月も経っていなかったので、何とも不思議な気持ちに(笑)それとグッズ!グッズデザイン考えたの誰ですか?私はその人に感謝を伝えたい。何ならお歳暮を贈り続けたい。宮城でのコンサートだったのに、ちゃんと東北6県入ってて泣きました……本当にありがとうございます。東北の真ん中に大きく嵐マーク。何だこの守られてる感じ。俺らがいるよ、大丈夫だよ、みたいな。いけめんかよ。

 

グッズを購入し、大野さんと子供達の個展を一通り見て、明日に備えてひとめぼれスタジアムを偵察。結構敷地広くてチケットに同封されていたスタジアム周辺の地図を見ながら歩いた。

 

9月19日土曜。澄み渡る青空。文句無しの快晴。ついにこの日がやってきた。私は早めの電車に乗り、9時頃に利府駅到着。利府駅では現地の方が素敵な看板で歓迎して下さっていて、帰りの電車の時間がわかりやすいようにまとめた時刻表もありました。

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なんてあったかい人たちなんだろう。現地の方の優しさにただただ感動。宮城県全体が今回のコンサートに協力している。みんなで素敵なコンサートにしようと頑張っている。一致団結している。

シャトルバスで会場へ向かっている途中、会場近辺の自宅に「駐車出来ます。1台○千円」と書いてあるボードを発見。値段ははっきり覚えていないが結構高めの金額で、残り○台と書いてあったので、高くても停める人っているんだな…なんかもうすげえな…と唖然。そんな事を思っているうちにバスは会場へ到着。シャトルバスの表示も嵐Ver.に変更になっていました♡


風に吹かれるフラッグ。いくつもの出店。看板。会場から見えるセット。コンサートだ。コンサート日のこの風景が、私はたまらなく好きだ。

青空の下、リハを聞きながら芝生でお昼を食べる、なんて幸せなんだろう。寝っ転がりたかった。そのくらい贅沢な時間。あ、芝生といえばうちわを入れてるトートバッグに蟻が入ってきたのは泣いた。

 

それからスタジアムの後ろ正面で、お手洗いにも近い最高の穴場を見つけ、開場時間までずっとそこに座ってた。隣に座っていた方が勉強してたのは衝撃だったよ…。

 

いざ開場時間。アリーナ入場口が近かったので早めに並んだが、長い。長すぎる。時間になっても開場しなくて、周りの方みんな文句言ってた。確か機材トラブルだったかな?ようやく開場したのは予定時間より30分程遅れてからでした。会場はとにかく広い。国立に行っていない私は、こんなにも大きな会場に入るのは初めてで。しかも席は通路横。既に震えが止まらなかった。

 

開演時間が迫り、映像が流れ始める。私、コンサートのOvertureの曲が大好き野郎なんだけど、今までの中で一番と言ってもいいほどブラスト宮城のOvertureが好き。あの曲欲しい。『嵐 Overture集』みたいなアルバム出してくれたら10枚くらい買う。

 

ワイハが流れ嵐がセットの一番上に立っていました(違う人だけどな)。何この5人…帝王感半端ない…心臓捧げたい…。かと思いきや、各サブステに登場。私の近くにあったサブステにはまさかの二宮さん。泣きました。会場は大きな歓声に包まれ、どこを見ても笑顔ばかり。彼らが手を振るとみんな手を振り返す。彼らが笑うとみんな笑う。嵐は笑顔を咲かす天才だ。その後のアリーナトロッコでも二宮さんが来てくれました。

 

何の曲か忘れたけど、スクリーンに東北各地の色んな写真をバックで流してくれたのはとても嬉しかった。高校生達との合唱には感動。客席を見る目が優しかった事、心を込めて歌ってくれた事、全部覚えてる。お祭りVer.のハダシの未来、カーニバルナイトも楽しかったな~!

松本さんソロで松本さんが真上に来たんだけど、美顔で美形でほんっっっとに綺麗だった印象しかない…。あれは国宝級レベル。誰か捕まえて。

 

そして挨拶。印象的だった二宮さん松本さんの挨拶を少しだけ。

難しい事はよく分からないけど、一緒に元気になってくれればいいじゃんって思うんですよね。みんなでこうやって楽しい行為、思い出を一緒に作って、一緒に元気になって。また会いたくなったら県知事さんに言う、だな。あの人に感謝してるよ。あの一言で夢が叶ったんだから。二宮和也

 

同じ空の下で繋がってるから、一人じゃないんだって、繋がってるって事を忘れずに毎日生きてほしい。松本潤

 

この時点で既に涙腺崩壊なのに。

「聞いてください。果てない空。」

その瞬間、会場が一瞬にして暗闇に包まれた。ケミカルライトも目立つ事なく、真っ暗になった。この曲は元々二宮さんのドラマ主題歌として発売されたシングル曲。だが震災以降、果てない空は特別な曲として扱われるようになった。歌っている嵐さえも見えない。人の気配も感じない。この世界に私だけがいるようで。はっとするほどの新鮮な空気、そっと肌をなでる風。息を吸えば音さえも身体に吸い込めな程、綺麗で、儚くて、繊細で。

果てない空がそこにあるって いま確かな声が聞こえる
飛べない自分を変えていこうか 踏み出して何度でも
やり直そう 力強く

 

見えないものは何もないって その確かな歌が聞こえる
消えない思いがここにあるんだ いつだってもう一度
立ち上がろう 力強く

 

涙の跡が乾いたら また呼び掛けるから 答えてよ まだ見ぬ明日へ
一人じゃないと気付いたんだ 輝くあの扉 共に目指そう

 

この時、真っ暗だった会場に明かりが灯された。私は思った。震災当時と同じだと。停電が起きて暗闇の中で震えていた中、やっと電気が点いてほっとした、安心したあの時と同じ状況だった。ふと我に返った私。私を照らしてくれた一筋の光。その先にいたのは、嵐だった。松本さんが言っていた〝同じ空で繋がってる〟それは確かなものだったよ。

 

この日はアンコール前に退場。初日だからどのくらい渋滞するか分からないし電車の時間が不安だったので。そのお陰か、すぐシャトルバスに乗れて混雑に巻き込まれる事なく帰れました。バス停留所に向かっている時に背後から聴こえるアンコールの声。再び歓声があがり、愛を叫べが流れる。帰り道涙が止まらない僕はずっと(BD)状態。初日はやっぱりいいね…!

 

 

9月20日。2日目。この日は行き帰り泉中央駅シャトルバスを利用。席はスタンド席中央付近。GUTSでの二宮さん可愛かった。景色も良いし、綺麗に見えるし、私はスタンド席の方が好きかも…。それとこの日もありがとう、二宮さん。

 

2日目の挨拶も良い事を言っていたので紹介。

当たり前に来る明日というものが、ある日を境に環境が変わって、状況が変わって、みんなの中で明日っていう価値観が変わったと思うんだけど、それは当然で。それだけ凄いことが起きたって事だよ。だから、今日が今終わっていくわけで、また来る明日に感謝しながら、良い次の日を、次の日を、次の日を、歩んでいけば、また僕らと一緒に今日を迎えて、楽しい思い出を作れていけたらなと、そういう風に思いました。二宮和也

 

震災が起きてすぐの頃、東北の方にメッセージが届けられないかと思って、言えた事は、みんな同じ空で繋がっているって事を、一人じゃないって事を、僕らがついてるって事を、僕らのファンのみんながついてるって事を感じて、辛い時苦しい時、生きぬいてほしいなというメッセージをおくったんですけど。そこを想像して、同じ空の下っていう空の下に今いて、こうして5万2千人のみんなと一緒に過ごせる事は最高に幸せです。皆さん本当に来てくれてありがとう。この場に。松本潤

 

こんなにも同じ空の下で繋がっているということを強調してくれる。何度もありがとうって言ってくれる。ありがとうを言うのはこっちの方だよ。宮城でコンサートをしてくれて、東北の事を考えてくれて、笑顔にしてくれて、言い出したらキリがないけど本当にありがとう。直接伝えるのは難しいからどうしてもうちわだったり、ファンレターだったり、そういう形でしか感謝を伝えることが出来ないけど。けど、きっと伝わっている。届いている。そう信じてる。

 

その後に松本さんがこう言いました。

一個お願いがあるんだけどさ、ペンライト持ってる人ペンライト消してもらっていい?

今空見たら、月と星がすげえ綺麗だからさ。見えるかな?

そう言われて見上げた先には満天の星空が。空気が澄み切っているせいか、無数に散りばめられた星屑はキラキラと鮮やかに輝いていて、まるで星となった嵐ファンの方々が会場を照らしてくれているようだった。そんな煌めく星に見とれていると、スクリーンに映し出されたのは大きな月。ふやけた黄色をしている。真っ暗な夜空の中、煌々と光を放つその存在感に私は言葉を失った。その月は、悲しいほど綺麗だった。どうしてこんなにも綺麗なんだろうって。きっと、好きな人と、好きな環境で一緒に見ているからより一層輝いて見えるのだ。嵐5人と、ファン5万2千人で見たあの月は今でも覚えている。絶対に忘れない、最高のプレゼントを貰った。

 

2日目はエナジーソングの途中で退場。本当は最後までいたかったけど、混雑して帰れなくなるのは嫌なので。だから今回「嵐〜!」って言えてないんです。辛い。乗り場まで走っている時に、背中越しから嵐〜って聞こえた。私も心の中で叫びましたとさ。

 

このコンサートを通じて嵐がどうしても宮城でコンサートを行いたかった意味、届けたい思い、言葉、そんな沢山の気持ちが伝わりました。東北の嵐ファンの1人としてこのコンサートに参加出来て良かったと心から思います。

 

笑顔を届けてくれてありがとう。